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誰に言われるでもなく、好きなことに没頭できるのは大人の特権。この時間があるからこそ、仕事の疲れも吹き飛び、明日への一歩が踏み出せる。
この連載では、ゲストの幸せな時間にフォーカスし、その幸せをおすそ分けしてもらう。

連載第2回のテーマは「散歩」。今回は、『散歩もの』などの作品で知られる漫画家の久住昌之さんにご登場いただき、「歩く楽しみ」について語ってもらった。

気が付くと歩いている。目的のないそぞろ歩きが、一番楽しい

「散歩が好きというよりは、歩くのが苦にならないという方が正しいかな」と久住さん。毎日自宅から仕事場までの3.5キロをまず歩く。その日の気分で道を変える。ひとりだから誰にも気兼ねなく。コースの最後には必ず井の頭公園があるのもうれしい。歩いていると思いつくアイデアも多いというが、健康のためとか発想のためという「ため」はなし。

「クルマも持っていないし、自転車を置く場所を考えるのも面倒だ。バスを待ったり乗ったり座れなかったりするなら歩いちゃえ。そんなかんじなんだよね」

気づくと自宅と仕事場の往復以外でも、結構歩いているそうだ。特に目的があるわけでもない。散歩はこうするべきというこだわりもない。ただ歩くのが好きだから、テクテク歩く。旅に出れば、さらに歩く。おいしそうな店を探してということが多いが、知らない街をめぐる楽しさに、いくら歩いても疲れることはない。

「子どものころ、夏休みに山梨の親戚の家に行くと『子どもたちは外に行ってこい』と言われてね。年上の従姉妹に連れられて、彼女の歩くままに、ゾロゾロと子どもたちで時間つぶしに歩いたんですよ」

あてどもなくただ山を歩いたり橋を渡ったり、学校を覗いてみたり。話したり笑ったりしながら、どこへ行くでもなく、草花をちぎったりしながら歩いていった。「それが楽しくてねえ」と久住さんは目を細める。目的もなく、ただ歩くのが楽しかった。どうやらそれが久住さんの散歩の原体験のようだ。

東京から大阪まで2年かけて歩いたこともあるアルキニスト!

実は、散歩好きというよりは、「歩く人」=アルキニストと言った方がよさそうな久住さん。東京から大阪まで歩いて、『野武士、西へ』という本にまとめたこともある。

「20キロほど歩いては、電車で東京に戻る。次回は、前回行ったところまで電車で行って、続きを歩くという歩き方を続けて25回、2年かけて大阪に到達しました」

地図は一切見ないので、峠ではいつまで登り道が続くのかもわからない。それが次第にゆるい上り下りになり、ある時、ストンと下り坂になる。「あ、峠を越えたな」と、直感でわかる。すごくうれしい。そして昔の人も、まさにここで同じように思ったに違いない、と思う。その時、時代を超えて足の裏で繋がった気がして、ジーンとくる。

「本当にこっちの道でいいのかと考えながら、歩くんです。真剣ですよ。それでも迷うこともある。昔の人はそうやって真剣にかんがえて旅をしていたはずです。今の人はすぐスマホとかを見るでしょう?迷って、困って、知恵を絞って正しい道に戻れると、ものすごくうれしい」

そんな経験をしてしまうと、スマホで口コミを見て他人のやっていることのあとを追いかけているだけに見える現代人がちょっぴり軽々しく見えるのだ。やはり久住さんは野武士なのかもしれない。

寄り道、思い出、迷い道。何が起こるかわからないから人生は面白い

日常の散歩と言えども、楽しいことだけではない。知らない街を歩いて迷子になったり、時間がかかりすぎて待ち合わせに間に合わなくなったり、ひょいと入ったお店がはなはだしくはずれだったり、急に雨に降られてびしょぬれになることもあるだろう。

「いいじゃない。道に迷っても。雨に降られても。入ったお店の料理がまずくてもいいんだよ。もちろんその時は、うわー、失敗したって、心底悔しいだけなんだけど(笑)」と久住さん。旅先の失敗はその時は苦々しいが、戻ってきて人に話したら、ウケるのは失敗談ばかり。いつの間にか楽しい思い出に変わる。

「古そうな店だな、でもお昼にはまだ少し早いからと見過ごした店が、広重が浮世絵に描いてる江戸時代からの名店だったり。しかもそのあと入ったラーメン屋の『薬膳ラーメン』がメチャメチャまずかったり(笑)。その店の店主が長髪を後ろで縛ってて、その髪型まで憎らしく思い出したり。でも話としては、ご馳走を食べた話よりそっちの方がずっと面白いし、忘れない。マンガ家にはそっちが宝物」

自分で歩く。面白いものを見つける。ハッと心を動かされる。嫌な思いをしてキュッと心が縮む。時間をかけて見ていると、ジワジワ見えてくるものがある。そんな繰り返しで得られるものは、おいしい店を見つけるコツではなく、自分はどういう店が好みかということ。自分自身がわかってくる。グルメの知識なんていらなくなる。

「今の時代、みんな早く答えを出そうとしすぎなんじゃないかなあ? 失敗したくないから、スマホでネットの評判とか見て行く場所を決める。でもそれは他人の意見だもの。それでいて、『おいしいと書いてあったけれどまずかった』なんて、すぐに口コミに書き込むのは、自分本位で店に対して失礼だよね」

久住さんは、心をフラットにして、好奇心のアンテナを研ぎ澄まし、ゆっくりテクテク歩み続ける。

散歩の終着点にビールがあるとうれしいよね。

病院帰りの散歩道、フラリと歩いた浜田山がとても感じがよかったから、と案内してくれた。のんびりと音楽が商店街全体に流れており、平日でも日曜のような雰囲気を醸し出しているこの街が、久住さんは好きだそうだ。

足の向くまま、気の向くまま、飲み屋に寄ったり、蕎麦屋に行ったり。本屋をのぞいて、ペラペラとページをめくったり。ネットで検索するのとは違い、本屋では知らない本との出会いがある。鼻の奥を本の香りがくすぐるのも、またリアルな本屋ならでは。

『サンブックス浜田山』では、「社会人力をアップさせる棚」など普通の書店にもあるような棚のほか、「売れてほしい本と新刊」という棚があったりして面白い。売れてほしい本というのは、店主自身が選んだ「読んでほしい本」や「サンブックスが気になっている出版社の本」などだという。他にも思わず手を伸ばしたくなるような棚が並んでいて、ついつい時間を忘れてしまう。

疲れたら散歩の途中、公園で一休み。喉が渇けばちょっと気になる店に入って、足と心をくつろがせるのも楽しい。

ここ『うなぎ さか井』は、すこぶる個性的な店だった。こだわりの手作り品の中でも特に圧巻なのは、店主が戦時中に疎開していた新潟県山古志村の小学校を模して作ったカウンターだ。客が置いて行ったフィギュアやブリキのおもちゃ、手作り品も所狭しと並ぶ。

「こだわりが強そうだけど、懐も広くてなんでも受け入れてくれている。親しみを感じるよね」と久住さんも、昭和の香りがぷんぷん匂う店内を見ながら満足気だ。

店主に聞けば、昔は日本酒も出していたが、うなぎをおいしく食べるには「おいしいビールを少しだけ」が一番合うと考えて、以来ヱビスビールの小瓶しか置いていないとか。

「僕はヱビスの小瓶が好きでね。入った店に置いてあると、とたんにうれしくなる。瓶のほうが丁寧に飲むような気がするんだ。なんでかな」と久住さん。力任せにジョッキで一気に飲む!という年でもなくなってきたせいだろうか。ほどよい大きさのグラスに、ほどよく冷えたビールをつぐ。

「キンキンに冷え過ぎたビールは、好きじゃないんだ。味がわからなくなっちゃうから」

そして一口。ああ、今日もいい日だ。箸でほろりとくずれるうなぎを一口。滋味が口の中に広がる。どちらも丁寧に味わいたい。

「ここに、ニッポンの幸せ。」ヱビスビールブランドサイトはこちら

久住昌之
1958年東京生まれ。美学校にて赤瀬川原平に師事。1981年、泉晴紀と組んだ「泉昌之」名の短編マンガ「夜行」(ガロ誌)でデビュー。「中学生日記」(Q.B.B)で第45回文藝春秋漫画賞を受賞。「孤独のグルメ」(画・谷口ジロー)のほか、「散歩もの」(画・谷口ジロー)、「野武士、西へ~二年間の散歩」(画・和泉晴紀)など、歩きをテーマにした著作も多い。漫画・デザイン・音楽など活動は幅広い。