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国産ビールの黎明期。
ヱビスビールの始まりと、輝かしい歴史。

国産ビールの黎明期。 <br>ヱビスビールの始まりと、輝かしい歴史。

華やかな香りと深いコク、透明感のある黄金色。いつも美味しく飲んでいるヱビスビール。ところで、その始まりの歴史はご存知ですか?プレミアムビール ヱビスで乾杯する大人なら、こっそりおさえておきましょう。

話はヱビスビールの黎明期である、明治時代に遡ります。日本が国をあげて近代化の波に乗ろうと、国民皆が情熱をもって生きていたそんな時代です。そんな世相の中、技術向上に挑み続けたヱビスビールは、日本で世界で数々の快挙を成し遂げます。今回は情熱的に始まったヱビスビールの、飛躍の足跡を辿ります。

1890年、「恵比壽麦酒」が華々しくデビュー。

ヱビスビールが発売されたのは1890年(明治23年)2月のこと。当時はヱビスビールの前身である日本麦酒醸造会社が「恵比壽麦酒」という名称で発売しました。

明治時代の日本といえば、近代化が著しい欧州の列強諸国に追いつけ追い越せと勇往邁進した時代。電気、電話、鉄道、郵便、洋服、西洋料理など、あらゆるものをエネルギッシュに吸収し、やがて日本製を創出していくことに全身全霊をかけていきました。

そんな中で、日本の産業発展の促進と、世界に通用する高度な技術を育成するために、政府主導で内国勧業博覧会を1877年(明治10年)から開催。その第3回内国勧業博覧会(会期日数122日間、入場者数100万人以上)が、ヱビスビール発売と同じ年の4月に東京上野公園であり、なんとヱビスビールが「最良好」を獲得したのです。

発売から10年後には世界にその名を轟かせる。

そして、ヱビスビールはついに海を渡ります。明治33年(1900年)、パリ万国博覧会に出展。40か国以上が参加し、万国博覧会史上最高の4800万人以上(210日間)の入場者数を誇る19世紀最大の万博と言われたイベントです。この世界最大の舞台で、なんとヱビスビールは金賞を受賞しました。

さらに明治37年(1904年)、米国で開催されたセントルイス万国博覧会(185日間、1970万人)でも、グランプリを受賞するという快挙。

こうしてヱビスビールは、日本が世界に誇る、まさにプレミアムなビールとしての地位を築いていったわけです。

日本のビアホールの殿堂、東京・銀座8丁目。

日本初のビヤホールは、1899年(明治32年)東京・銀座8丁目にできた「恵比寿ビールBEER HALL」です。「ビールの原材料は大麦、ホップ、水のみに限る」というドイツで受け継がれるビール純粋令(1516年)の考えを、ヱビスビールも頑なに守ってきました。その、工場直送のフレッシュなビールのおいしさを、日本人にもっと知ってもらいたい、と日本麦酒の社長、馬越恭平氏のアイデアで始まりました。

約40坪ほどのビアホールとしてはこじんまりとしたサイズですが、店内は粋を結集した斬新な装い。デザインは、明治期を代表する近代建築の第一人者 妻木頼黄氏でした。

ガラス製ジョッキ半リットルで10銭。初日225リットル、2日目245リットル、3日目450リットル。1週間後には1日1,000リットルを超える日も出るほどの大盛況だったそうです。

この翌年に、19世紀最大の万博と言われたパリ万国博覧会で金賞を受賞。ヱビスビールが世界へ羽ばたく幕開けとなった場所なのです。

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