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答えを求めない、感覚的な語らいが生まれる焚き火という贅沢。
黄昏時にパチパチと薪が燃えて煙の香りが広がる焚き火に欠かせないのは、ゆっくりと炎を見ながら飲む黄金の一杯。贅沢な語らいを提供する焚き火とヱビスビールには、日本の風土や時代とともに独自の楽しみの進化と革新を遂げてきました。日本が誇る場所や人、コトを再発見する今回は焚き火にスポットをあてて、焚き火マイスターの猪野正哉さんに話を聞きました。
コミュニケーションの原点となる焚き火
夜の帳が下りるおよそ100万年前。炎が揺らぐ焚き火の周りには違う文化圏であっても人々が集い、炎を見つめて語らう長い夜の時を過ごしてきました。
諸説ありますが、人類は火の存在を見つけたことで、道具の開発や獲物の調理をはじめとして文化は発展していきます。なかでも飛躍的に発展を遂げたのは、「コミュニケーション」と「コミュニティ」だと言われています。
米国科学アカデミー紀要によると、焚き火のゆらぐ炎には、人々の想像力をかきたてる効果と、夜の活動時間が増えたことで、コミュニティを形成する信頼関係の構築に重要な役割を果たしたとされます。ゆらぎとは、風の音や川のせせらぎにもあらわれる規則性のない変化や動きのこと。そして、このゆらぎには、リラックス効果があるとされています。
そのことを知ってか知らぬか、焚き火マイスターとして活躍する猪野正哉さん曰く、「焚き火は、火をつけるまでの過程を楽しむ人と結果を楽しむ人がいると思いますが、僕は焚き火を人と囲むことが第一だと思っています」と、人との対話が不可欠といいます。
そこに行き着いた理由はなんでしょうか。それは、どん底にいたときに焚き火を囲みながら生まれた親との対話からだったといいます。
人気モデルから一転、どん底に
子どもの頃の夢は、野球かサッカー選手になることだった猪野さん。ところが、彼のキャリアは、予備校に通っていたときに当時の彼女が冗談半分で『メンズノンノ』のモデルコンテストに応募し、グランプリを獲ったことで鮮烈のモデルデビューを果たすことから始まります。子どものときの夢とは違うモデルになることに抵抗はなかったのかと聞くと、逆に交通費をもらえるのが嬉しかったと言い、また、副賞でもらった賞金は洋服代に充てないといけないのに、スノーボードを買ったり、パチンコに使ってしまい、結局バイトで稼いで補填したという話を無邪気に語ります。
2年ほど専属モデルを経てフリーランスでモデルをする一方で、当時ポパイの編集者から誘われてライターの仕事も開始。順調に活動を進めていましたが、仲間と一緒に立ち上げたアパレル事業で大きな借金を背負ってしまうことになります。
猪野さんはそのときの状況を、「モデルやライターの仕事も辞めざるを得ず、逃げるようにして実家に帰り、引きこもりました。誰とも会いたくないので朝から夕方まで寝て、夜は倉庫のバイト。そんな生活が10年近く続きました。ひとつ歯車が狂うと悪い噂も流れて。精神的にやられているから言い返す元気もないので、フェードアウトするように誰とも連絡を取らなくなりました」と振り返ります。
どん底からの脱却は、焚き火と自然から
事業の失敗から閉じこもっていた猪野さんの人生を変えたのは、2つのできごと。そのひとつが、焚き火を囲みながらの親との対話でした。
「親に対して借金があることはずっと言えずにいました。しかし、親はそのことを察したうえで、それでも自分の口から言って欲しかったんだと思います。家のリビングでもいいはずなのに東屋に呼ばれて。しかし、いざ焚き火を囲っていると、なぜかすごく素直に話せました。後から思うと、焚き火があることによって、目を見て話さなくて済む。そこから焚き火は、単なるキャンプファイヤーの火ではなく、対話を通じたツールのひとつだと気づきました」
そしてもうひとつが、友人から誘われた山登り。「それまでは山登りなんてと、そもそもアウトドア自体にまったく興味がありませんでした。しかし、いざ山登りしてみると、自然と触れ合って自分のちっぽけさや、悩んでいたことが馬鹿らしくなったんです」
それから山や自然のなかで過ごすことが多くなった猪野さんは、山の雑誌でモデルを頼まれ、さらにはルポライターを始める。そして、キャンプ特集の火起こしの担当をするようになり、せっかくだからと、冗談半分に肩書きを「焚き火マイスター」とつけたのがきっかけで、ある番組で紹介されることになります。それが、TBS系『マツコの知らない世界』でした。
この放送による反響は大きく、一気に焚き火ブームの火付け役となり、ライターの仕事以外にも焚き火のアドバイザーとして声がかかるようになります。
7年前には、地元である千葉の敷地内の雑木林を整備して、プライベートな焚き火サイトを開設。現在ではテレビや雑誌の焚き火の監修のほか、イベントの講師などを行っています。
人本来の姿に戻って対話が楽しめる焚き火
そんな波乱万丈な人生を経た猪野さんが思う焚き火の魅力は、両親との対話で経験した「答えを求めない感覚的な語らい」だといいます。
「焚き火の前ではぼうっとできる。本当になにも考えないし、なにも入ってこない、言わば無の世界。大体初めての人たちは、焚き火を前にすると、不思議と自分の秘密を告白する人が多い。重い話もありますが、なぜか焚き火がその話を一緒に燃やしてくれるので、だいたい次の日には忘れちゃいますし、告白した本人もスッキリした顔をしていますね。焚き火にはそんな魅力もある」
だからこそ、焚き火マイスターは、あえて着火剤を使います。火を起こす過程より「囲む楽しみ」が第一にあるからです。
猪野さんが提唱する焚き火を囲む対話も、人と人とのコミュニケーションが薄くなる現代では、ありのまま対話する大切さを教えてくれているのかもしれません。炎の前では、会話の内容云々ではなく、心と心の対話ができるのです。
マイスターの魅力は、人生観にも繋がる自然な脱力感
そんなマイスター猪野さんにとっての焚き火とはなにかを問うと、「日常の延長線にあるもので、アウトドアのアクティビティだとは思っていません。昔はそこらじゅうで焚き火が行われていました。でもあれをアウトドアとは言わない。生活の一部というか、身近なものになれば嬉しいです」と話す。
たしかに東京・中野でつくられた童謡「たきび」の歌にあるように、昭和の時代は、落ち葉などを燃やして暖を取り、焼き芋を焼けば人が集まる風景がありました。それは特別なことではなく、焚き火の火を見つけたら集うという、100万年前から変わらないごく自然な日常だったに違いありません。
最後に、「すごく小さいモチベーションですが、すぐにでもビールを飲みたいがために早く火おこしをしています。山にも登るのも、登山後の一杯を楽しみにしている節もある。ちょっとしたご褒美ですね」と語る姿は、「自然体そのもの」という言葉がよく似合う。また、小さいモチベーションが日々の生活を楽しくすることを気づかせてくれます。
焚き火を囲いながらゆっくりとビールを飲み語らう贅沢な時間。
それは人本来あるべき真実の対話が楽しめるのかもしれません。薪が焼かれたふくよかな薫りとさわやかな余韻が、寒さと心を包み込む。そんな焚き火の炎を見ながらコクある時間をヱビスビールとともに楽しみたいですね。
文・喜多布由子 写真・山本雷太