ギフトページがお中元仕様になりました!
ヱビスマガジン
ビール時間がもっと楽しくなる情報を
お届けするヱビスマガジン!
伝統と革新の融合が未来を創る――
藍染の新たな可能性を追求する藍師・染師「BUAISOU」
1890年、本場ドイツのおいしさを追求して誕生したヱビスビールは、ふりかえれば130年以上、革新を繰り返しながらも誰よりもビールの無限の可能性を信じ、たのしみながらビールの魅力と文化を切り拓いてきました。2024年からは「たのしんでるから、世界は変えられる。」というメッセージを新たに掲げ、その姿勢・信念をお伝えしていきます。そんなヱビスが共感した各界の方々にインタビューを行っていく本企画。今回、ヱビスが共感したのは、徳島県で藍の分野で活動する楮覚郎(かじかくお)さんです。楮さんは2012年に江戸時代から続く阿波藍(あわあい)の産地である徳島県に移住。伝統的な藍染の技法を学んだ後、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行う工房「BUAISOU」立ち上げ、代表を務めています。伝統を守りつつも藍染の新たな可能性を模索する楮さんに、藍染にかける想いを語っていただきました。
一本のジーンズから始まった、染色への探求。
「中学生の頃にファッションに興味を持ったのですが、特に惹かれたのがインディゴ染めされたジーンズでした。中でも第二次大戦中に作られた“大戦モデル”と呼ばれるヴィンテージジーンズが好きで古着屋さんによく見に行っていました。その頃から染色に関心があり、コーヒーや紅茶を使って生地を染めてみたりしていたのを憶えています」
自身の原点はジーンズにあると語る楮さん。いつか自分で洋服を作りたいという夢を叶えるため、高校卒業後は東京造形大学テキスタイルデザイン専攻領域に進学。
「大学では、草木染めについて研究していました。深く掘り下げるうちに、いつしか服を作ることよりも、服の素材を作ることの方が面白くなっていました。当時から化学染料には疑問を持っていました。化学染料との歴史は150年ほどですが、天然染料を使った染色方法には何千年もの長い歴史がありますし、何百年も前に染められた服も残っている。そう考えると、僕にとって信用できるのはやはり天然染料だったんです」
大学時代に様々な天然染料を使った染色を試した楮さんでしたが、藍染だけは経験したことがなかったそう。卒業後は、1つの染色方法を追求してみたいと考えていたこともあり、藍染を学ぶために藍染の染料の産地として知られる徳島県上板町の地域おこし協力隊に応募することに。
「2012年から約3年間、地域おこし協力隊で活動しました。役場の職員として伝統工芸体験施設で藍染の体験指導をする一方、藍染職人の方に原料となるタデ藍の育て方や、タデ藍を発酵・熟成させて染料にする蒅(すくも)作りの方法を学びました。最初はダメだったら別のことをすればいいと考えていましたが、作業は楽しく、気の合う仲間ができたこともあり、活動期間が終わった後も上板町に残り、藍染を続けることにしました」
楮さんは同時期に地域おこし協力隊に参加していた仲間と共に、2012年に藍染ユニット「BUAISOU」を立ち上げます。その後、楮さんらの活動に共感した者たちが各地から集まり、2015年に会社を設立。「BUAISOU」としてその名が広く知られることに。
“すべて自分たちの手で”
伝統に縛られない、自分たちなりの藍作り。
伝統的に藍染は分業制で、染料を作る藍師(あいし)と生地を染める染師(そめし)が、それぞれの作業を分担して行います。しかし、「BUAISOU」では、藍の生産から染色、一部の製品の縫製まですべての工程を手がけています。
「“すべて自分たちの手で”というのが、BUAISOUの貫いてきたことです。種の状態から人の手に渡るまで、すべてを自分たちで管理することにこだわっています。工程が多岐に渡るため、一人で全部をこなすことは不可能です。藍の魅力に惹かれて集まってきた仲間がいるからこそやりたいことを貫けるのです」と楮さん。
蓼藍(たであい)の種を蒔くのは春先。夏には育った蓼藍を刈り取って葉の部分を乾燥させ、冬場の寒い時期に葉を発酵させて染料となる蒅を作ります。その後、蒅と木灰汁、ふすま、貝灰のみで発酵させた藍液を作り、藍染に用います。
「藍の生育状況は天候に左右されますし、どれだけ畑に手をかけたかによって収穫量も違ってきます。以前は化学肥料や動物性の堆肥を使っていましたが、現在は完全無農薬で植物性の有機肥料だけを使って育てています。化学肥料を使うと確かによく育ちますし、色素の量の多い藍が採れますが、天然の染料と言いながら、栽培に化学肥料を使っていることに疑問を感じました。産業としての伝統的な藍の作り方はありますが、僕はそれを忠実に守らないといけないとは考えていません。藍の栽培も染色方法も自分たちなりに工夫しながら、色を作ることが楽しいです」
天然の藍だからこそ生み出せる、複雑な濃淡。
BUAISOUはこれまでに様々なオリジナルのプロダクトを作ってきました。自分たちで育てた藍で作った染料で染め上げたウェアやバッグ、バンダナや手拭いといった小物は多くの人々を惹きつけています。中でも、楮さんの思い入れが強いのが、2018年に初めて作ったジーンズです。
「BUAISOUをスタートした時から、天然藍で染めたジーンズを作ることを目標にしていました。子供の頃から憧れていたジーンズ、そして大学から始めた染色が繋がって、ジーンズという1つのプロダクトになった時には感動しました」
独自の歩みを続けるBUAISOUのものづくりに、日本だけでなく海外からも注目が集まっています。これまで、様々な有名ブランドとコラボレーションを実施しており、藍染のワークショップには世界各地から人々が訪れるまでに。
「完成したプロダクトだけでなく、作る過程にも注目してくれるのが嬉しいですね。ただ、ものづくりのクオリティを落としたくないので、コラボレーションは基本的に年1回程度に限定しています」
ジーンズとヱビスビールの
意外な接点とは?
ヱビスビールとジーンズという、一見すると接点のないように感じる2つのプロダクト。ですが、楮さんは意外な接点を見出していました。
「リーバイスの『501』という定番ジーンズがありますが、その数字が使われ始めたのが、ヱビスビールが誕生したのと同じ1890年だったんです。当時は日本で藍の栽培が最も盛んだった時期で、多くの人が藍染の着物を着ていたことでしょう。そして、着物姿でヱビスビールを飲んでいたはずです。その後、藍染産業は衰退しましたが、ジーンズは広く普及しました。そして、いま僕たちは藍染の伝統を受け継ぎながらジーンズを作っています。一方、エビスビールは誕生から現在まで多くの人に親しまれています。同時期に生まれたプロダクトが様々な変遷をたどりながら現代に息づいていると考えると、感慨深いものがありますね」
色という形の無いものに価値をつけていく。
最近、BUAISOUは工房を改装し、多数の旧式のミシンを導入しました。これまで、一部外部の工場に依頼していた縫製も自分たちで行うためです。
「1800年代にはミシン1台で1本のジーンズを縫っていたそうです。ならば自分たちでもできるはず。そう考えて、ミシンを導入しました。大量生産には向きませんが、自分たちで縫った方が納得できるものを作れると思うんです」
将来的には織機も導入して、生地を織るところまですべて自分たちで手がけたいと楮さんは夢を語ります。
新たな挑戦を続ける楮さんですが、藍にかける純粋な気持ちは変わることがありません。
「僕にとっての理想の色は存在しません。こういう色を作りたいというのではなく、こういう作り方をした結果、こんな色ができたという過程を大事にしたいんです。天然染料である藍には、多くの不純物が含まれます。そのため、化学染料と異なり、毎回同じ色が得られるわけではありません。だからこそ面白い。色という形の無いものを作るのに精力を注ぎ、価値を付けていく。それが僕にとっての藍染の醍醐味なんです」
プロフィール
楮覚郎 かじ・かくお
BUAISOU代表
1989年生まれ、青森県出身。東京造形大学でテキスタイルデザインを学んだ後、藍染技術の習得を目指して徳島県上板町に移住。地域おこし協力隊として活動した後、2012年に藍の栽培から染色までのすべてを行う「BUAISOU」を発起。2015年には、会社として法人化した。現在は、ジーンズをはじめとしたオリジナルの藍染製品を多数手がけているほか、国内外のブランドとのコラボレーションも実施。グローバルに活動を展開している。
取材・文/高須賀 晢
撮影/殿村誠士