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知っているけどうまく説明できない、
「酉の市」の謎を考える。

知っているけどうまく説明できない、<br>「酉の市」の謎を考える。


11月のお祭りといえば、酉の市。花園神社をはじめ、東京では40以上の神社仏閣の境内に屋台や露店が並び、熊手が売れると威勢よく手締めが行われる風景は、まさに年末の風物詩です。けれど、関西圏ではあまり馴染みのない行事かもしれません。いったい、酉の市とはどのような行事なのか? なぜ、関東が中心の祭りなのか? その由来を、みなさんはご存じですか?

謎① 酉の市はなぜ「酉」なの?

謎① 酉の市はなぜ「酉」なの?
豊国「十二月ノ内 霜月酉のまち」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」 (https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/)



酉の市の起源は諸説ありますが、有力なのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭神とする、東京都足立区にある大鷲(おおとり)神社の祭りとする説です。大鷲神社の公式サイトによると応永年間(1394~1428)から、日本武尊の命日とされる11月の酉の日に、感謝を伝える祭が行われるようになったそうです。また、酉の日は、日本武尊が東夷征討の際、現在の埼玉県にある鷲宮神社に立ち寄って戦勝祈願し、志を果たしてお礼参りをした日だともされています。

以前は「酉の祭(とのまち、とりのまち)」と呼ばれていましたが、やがて人が集まるようになると農具の販売などの市が開かれるようになり、しだいに「酉の市」となったそうです。江戸時代には、大鷲神社を「上酉」、千住にある勝専寺(しょうせんじ)を「中酉」、浅草にある鷲(おおとり)神社を「下酉」と呼び、大きく賑わっていたようです。

謎② なぜ関東だけにしかないの?

謎② なぜ関東だけにしかないの?

先述したように、酉の市はもともと、日本武尊(写真上はその像)への神恩感謝の祭です。ところで、大鳥神社の総本社は大阪の大鳥大社。しかし大鳥大社では「酉の日祭」という祭礼はあるものの、関東地方のような熊手市や夜の屋台は立ちません。なぜ、酉の市は関東を中心とした祭りになったのでしょうか。

それは、日本武尊が武神であるから。古くから酉の市が行われていた鷲神社や大鷲神社は、日本武尊命ゆかりの神社であることから、武士たちが武運長久を願い崇拝していました。そのため、武家社会の中心地だった関東を中心に開催されてきたという説があります。

一方、関西を中心に全国でこの時季に広く行われている行事が、恵比寿様を祀る「えびす講」。酉の市と同じく商売繁盛や家内安全を祈願しますが、酉の市とは無関係だとされています。

謎③ なぜ酉の市には熊手なの?

謎③ なぜ酉の市には熊手なの?

酉の市といえば縁起熊手。日本武尊がお礼参りをしたときに、神社の前の松の木に武具の熊手をかけたとされています。

また、元来は武士が主に参加する行事でしたが、江戸時代半ばになって戦乱が収束すると、しだいに農民にも広まり、収穫を祝う祭りへと変わりました。その際、市で農具として売られていた熊手が福や金銀をかき集める存在と見立てられたことから、商売繁盛の縁起物となり、町人も引き寄せる祭りとなったようです。

縁起熊手は、時代とともに形も飾り物も変わってきています。江戸中期より天保初年(1831年)頃までは、柄の長い実用品の熊手におかめの面と紙垂を付けたものが主流でした。現代では宝船、平、桧扇、文化、みの、御所車などさまざまな飾りが多くあしらわれ、その年の流行りものを取り入れた熊手も話題を呼んでいます。

切山椒

また、酉の市には熊手以外にも縁起物があります。里芋の一種である八つ頭がそれで、別名は「頭(とう)の芋」。子を増やし、人の頭に立つという縁起から喜ばれる食べ物です。ほかに、小判に形状が似ている黄金餅も縁起物。また、実だけでなく葉に花、幹や樹皮まで何一つ捨てるものがないとされる山椒もそうです。山椒で作るお菓子の「切山椒」(写真上)も、古くから名物として商われています。

謎④ 三の酉にはなぜ火事が多いの?

そもそも酉の日というのは、毎日の日付に十干十二支(じっかんじゅうにし)を当てると「酉」となる日のことで、12日ごとに巡ってきます。そのため、月によっては3度、酉の日がやってくることになり、それぞれ「一の酉」「二の酉」「三の酉」と呼ばれます。

11月に「三の酉」がある年は火事が多い、と耳にしたことはないでしょうか。平年よりも火の用心が呼びかけられ、熊手には「火の用心」というシールが貼られたものも登場します。

たしかに空気が乾燥して火事が起きやすい時季ではありますが、実は歴史的に三の酉のある年に火事が多かったという記録は残っていません。ではなぜ、このような俗説が出てきたのでしょうか。

一説によると、江戸時代に酉の市で大賑わいだった鷲神社は、吉原遊郭のすぐそば。この機を逃すまじと吉原の大門が開かれていたため、お酉さまの参詣にかこつけて旦那衆は吉原に寄ることが多かったそうです。

一方で、留守をあずかる女房は、旦那を何とかして家に引き戻さなければなりません。ましてやひと月に三度も吉原に行かれてはたまったものではないので、三の酉があるときは「火事が多い」「吉原遊廓に異変が起こる」という俗信を作り上げて、旦那たちの足を引き止めようとしたのではないか、とも言われています。

商売繁盛や開運を願って、ヱビスで乾杯しませんか。

酉の市が終わると、いよいよ年末。恵比寿様も幸運を呼び寄せる神様です。酉の市で縁起熊手を買った夜は、商売繁盛や開運を願って、ヱビスで乾杯しませんか。

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